河原田家は、戦国時代に芦名氏の譜代として会津から角館へ移って本家100石、分家50石を拝領した。芦名氏断絶後は佐竹北家の組下となるが、幕末から明治にかけて分家が著しく発展し、明治24年に裏町からこの東勝楽丁へ移り住んだ。後に電気事業の草分けとなり、薬医門の表札の下に「電話一番」の古びた札がかかっている。
現在の建物は明治中期に建てられたものだが、その間取りは武家住宅の形式を踏襲していて、屋敷の構成は藩政時代そのもの。主屋の屋根だけが町家風の切妻木羽葺なのは、防火対策のためのよう。閑静な緑の庭は、ひととき、外の喧騒を忘れてさせてくれる。
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